2008年2月20日 (水)

唇が震えるのはどんなときだ?

先週のことだが




殴られた




まぁ、ヘナチョコパンチだし、急所なんて入りもしないから全然平気ですけども。





しかしだね、やられると割りと頭に血が上るんだわね。
昔から、殴られることには過剰に反応するんだ。
絶対に敵うはずもない、あの子供の頃は我慢したし、
耐え切れないときだけファイトバックしたけども。
あの感覚、でてきたのよね。



しかし、だ



世の中に生きて、社会の仕組みで金を稼いで飯を食っていくようになれば
何を守らなきゃいけないか、何をやっちゃいけないか、くらい考える前にわかる。
やりかえさなかった。
これは私の立場がどうとか言う前に、社会人が生きてくためには周囲から叩かれるような違反をおかしては生き難くなるだけだって単純な仕組みを覚えてたからだ。
やられたら、やりかえす、ってのは正直賢くない。
まして、相手が法の手を逃れる立場にいるやつならね。




抑えた


おさえたけれども多分殺気がでてしまってた。
まだまだ甘いんだ、私は。





丁寧に対応していても、相手は私を「黒」だという
刺青まで探された。
まったく、私が「本物」ならどうする気だ
っていうか、彼らはそういう思慮分別など、とうに失ってる。
ある意味、地上で一番強い生き物だよ。
寿命は縮めているけども。



病名がついてるものには接遇しかない
病名がつかないものには法で争う



人に殴られたときの対処法は泣き寝入りだけではない。
殴り返すよりももっと自分を傷つけずに借りを返す方法を選ぶ




・・・・・・冷静なほうの自分がそう言っては来るが、上った血がなかなか下がってこないのは私もまだまだ甘い、ってことなんだろう

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2007年9月 8日 (土)

雨の中煙を吐く女

"ジッポがほしい"




嵐の中でタバコを吸う時には心底そう思うね




持ってるんだけれども、持ち歩きはしない
もらったもので、いいもの過ぎるから
実際つかってるのは百円ライターなんだ
それだと、こういうときに困る
嵐の中でも煙が吸いたくなるときにね



横殴りの雨
屋根の下にいてもずぶ濡れになる
多分、普通に立っていたら風が道路に押し出すんだろう
危なくってしかたがない


”そこまでして吸わんでも”


自分でツッコミ入れて自分で返す


”それくらいさせろよ”


食うことすらできず、弱って尿まみれの人
人にハエがたかってるのを見たことがあるか?
転んだだけで、たんこぶすら定かでないのに脳内に出血してきた人
誰かが傍にいさえすれば、こんなにはなってないんじゃないのか?


電話だけじゃなくて、会いにいってやれないのか、あんたら
運ばれてきてから、何をあわててる
何を文句言ってる
自分は忙しいから、世話をするのも別な誰かで、こういうときに診てもらえるのは当然なのか?



ふざけるな




自分たちのしてきたことくらい見ろ








嵐だろうが、吸わずにはいられんだろうが





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2006年9月21日 (木)

吐いたところで何になろうといわれたら、吐いて何が悪いとこたえる

つかれた

つかれた、つかれた、つかれた

ベッドに倒れこんで。
つぶやく言葉は口の中でとぐろを巻いてる。



まだ時間があることは救いなのか
その時間が苦痛なのか



もう少しだけならもつと思う
耳はもうしばらく聞こえていない
聞こえるけれども、発した言葉の色までも見ようとはおもわないので
ただ鼓膜を通じて脳に音が伝わるだけだ。


つかれた


そういえば楽になるかといえばそんなわけはないもので
言えば言うほど、どこかが磨り減っていくみたい
そういうのが嫌いだから、疲れたなんていわないようにしている。
でも
言えば楽になるわけじゃないだろうけど
そんな風に吐いたら、荷物が捨てられるような気がする


それは自分を切り捨てることで楽になるのかも
一秒ごとに死んでいく身の、死んだ部分を切り取って放り投げて
それで軽くなるのかも


人に言えば後悔する。
捨てたものを誰かにあげることがみっともなくて恥ずかしいから
自分にいらないものが他人の手に渡るときって、いやじゃない?





・・・でもここは私の場所だから、吐いてもいいんでしょう?




本当に疲れた。
それでもあと少し、これがもてばいい。
神様、よろしくね。
お願いね。

もう少し、立っていられるようにして

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2006年9月 6日 (水)

一人が好きかといわれたら、どう答えたらいいのだろうか

海を越えたあの国はとても寒いところだった
私が生まれたあの国と同じ風の吹くただ広い野原を抱えた豊かな国だった


そこに立つ私は確かに一人で、それでもさびしくはなかった
耳に入る言葉がただの音にしか聞こえず、その意味を彼らの顔から推察して
それ以上は何も聞こうとはしなかったから、彼らの中の感情まで考えることがなかったからだと思う


本当にさびしいときというのは、誰かが自分を拒絶したときであってね


それすらも理解できないほど、わたしはただわからない言葉からそれの意味するところだけを探ろうとしていた。
無事に帰るため、安全に過ごすため
それだけが目的だったから、誰かが拒絶しようとさびしくはなかったわけ
なまじ言葉のわかるところだと、それ以上の奥深いものまでも汲み取ってしまおうとするから
その声の色と、においと、あがりさがりと、ぶつかる強さと
それらが全て自分に入ってくるとき、嬉しかったり時に痛かったりするのだけれど
それすらわからないところにいるから、大して苦しくはなかったわけ

でも

また海を越えて帰ってきたときに、まっさきに友人たちに会いに行った
もともと頻繁に会える人たちではなかったから、この機会に会いに行った
一人はたったの1時間
一人は一緒にお風呂にも入って
一緒に酒を呑んで近況を語った


飛行機を乗り継いで、彼女たちに会いに行った


それはとても楽しい時間で、嬉しいときで
どれほど疲れていようとも、行った甲斐があったと思っている
その後私がまたあの発作に襲われ、聴覚をまた少し失おうとも
それでも行ってよかったと思っている


一人はさびしくはないものを、それでも逢えると嬉しい人たちが確かにいるものだ


さびしいから会いに行くのではない
それでもああして過ごせたことを私は嬉しく思う
いつまた逢えるものかと、、それを楽しみに待つことができる


さびしさを紛らわすためならば、別の楽しみを設けよう
彼女たちに会うのはそれ自体が嬉しいことだから
私が会いに行くのは、ただそれが望みだから


一人で立つ異国の浜で、それでもそれをさびしいとも思わなかった
誰かにいてほしいなど思いもしなかった
拒絶される、否定される寂しさに比べたらなんと極楽なことか


いつでも変わらないものを持っている私には、風吹く浜も野原も寒々しいものなどでは決してない
それ自体を受け入れてその荒々しさに喜びすら感じた
似ている、どこまでも荒削りなあの土地にそっくりなこと!


一人でいられる理由は、自分が一人ではないと知っているからにほかならないのだろう

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2006年7月28日 (金)

生きている意味とか言うものを考えたことくらいあるだろう

昔々、おおむかし
ひとりの女の子が言いました。



「どうして私は生きてるの?」



何のために生きているのだろう。
何の役にも立たないのに。
誰かのためにもなるとも思えないのに。



確かに私が大事だと
父さんも母さんも思っているとは思うけれど
私自身がそうとは思えない。
私は私が信じられない。


鏡を見ても
「これは誰?」
自分が自分でないようで
ここに映って見えるのは、ただの醜い生き物でしかない。



生きているのが恐ろしかった
それを越えたら激しく憎んだ
そんなどす黒い子供でも
生きてる意味があるというのだろうか


「生きているものは何かしら意味があるんだよ」


そんな言葉は鼻で笑った。
虐待されているものも?
殴られるものも?
痛めつけられるものも?
脅されるものも?
怯えるものも?
苦しむものも?


そんなわけはないだろう
それが意味だというならば
随分残酷なことを言うものだ
なんにもわかっちゃいないなと、苦い思いでかすかに笑った


「死ぬ気になれば何でもできる」


死んだほうがマシなことなどその辺に転がっているだろう。
死よりも苦しいことなどないと
本気で思える?
うらやましい


意味のないものは存在しないというならば
意味のない自分はいつでも消えていいということだ
生きてるだけで意味があるというのなら
その意味は何だか教えて欲しい


・・・いえるものならいってほしい





ずっとそれを考えていた
何度何度も、何年も
そうしていきついた私の答え
「生きることに意味などない」


生きることに意味などない
生きてることに意味などない
目標も意義も役割もなく
ただそこに存在するだけ


ただそこにいるというだけ


だが、そこにいることに意味はなくとも
それで消える理由にもならないと
理解したのは18の頃
意味がなくとも生きている
生きてるものだから生きている
そう生まれついたから生きている
そこにいるから生きている
それで充分だと気づいた時代



意味もいらない、目的もいらない
ただここに生まれたものは
この命を取り上げられるまでそこにいる
そうするようにできている
ただそれだけのことだった



意味がもしもあるならば
それは誰かがあたえるもので
自分で見つけるものでもない
存在を認めるのは自分ではなくて
いつでもよそからの反射だけだ


「あなたがいてくれることを望みます」


そう言ってくれるならば彼にとって意味がある
彼が消えたら意味はない
それでも自分は生きている
そう、残るようにできている


「あなたが必要だからいてください」


必要でないなら消えねばならないのか?
そうじゃない
必要も不必要も関係ない
役に立つことも何かのために存在するのでもない
ただ、ここにいることが生き物である理由なだけだ
みずから消えることなどは
決して許されない存在だ



だから意味など求めない
だが、何のために生きているかと問われれば
「幸せになるため」
と、応えるだろう
何が幸せなのかと訊かれたら
「生きていてよかったと思えることだ」
と、答えるだろう



幸せなどはわからない
ただ、時に生きていてよかったものに出会える
美味いと思えたとき
安らかになれたとき
よく眠れたとき
優しくされたとき


それにあうためにだけ生きている
それを返すためにだけ生きている
消えてしまえと思うときでも
少し先まで歩いていったら
それに会えるかもしれないと思うから
だからまだ、生きている


今は辛くてもあと少し
あと少しだけ歩いたら
またやさしいものにあえるかもしれない
やさしさ返しができるかもしれない
あと少し、あと少し


辛かったことを思っても
幸せだった頃を思っても
それは慰めにもならず
誰かの不幸にそれよりマシなど
思うことすらできもせず
それでも、あと少し
そうおもうだけでまだ生きられる



まだ歩ける
その先にあるものを失わないように
まだ歩ける
もらうだけでなく返せる日が来る



まだ歩ける







・・・生きる意味など自分でつくるものじゃない
歩いている間に誰かがくれる宝物だ



だから意味などいりはしない
ただ、歩いていくだけだ
せめて、貰った分だけは返せるように歩むだけだ
そうして生きててよかったことを、探しに足を進めるだけだ


焦らなくてもいつかは消える
大きな樹から分かれた私が
そこに再び戻る日まで



ただひたすらに、歩いていくだけだ


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2006年7月27日 (木)

存在の証明が欲しかったのかすらわからない

ちょいと、


馴染みのお部屋で「存在の証明」という言葉をみつけ
それから私は少しばかり立ち止まった。
ああ、こんなことを思ったことはないな、と。


存在を消して
いなかったことにして
生きていてもいいとは思ってはいないから


どうしたら消えられるものかと
生きていてはいけないものだと、誰にも知られずに消えるにはどうしたらいいものかと
そう考えていたのは10歳までのことだ。

もっと前は、どこが問題なのかすらわからずにいたから
自我などというものはなかったから多分平気だっただけだ。
自分のことは気にしないでもいいの、と引いてしまう幼すぎる命がいただけだ。




覚醒しなければよかったのかも



気づかなければよかったのかも。
でもそうはいかないのだろうよ、成長ってものは止められない。
芽生えた自我が苦しめた、どうして生きていてもいいといえるんだろうかと。

それを越えた11の頃
消えるのは自分であるべきではないだろうと、
そんな風にどす黒く濁っていったものだ。

何を迷ったのか
何が見えていなかったのか
結局は、自分がかわいかったのだろうよ。

いつでも消えられる
自分の代わりなどどこにでもいる
世界は決して変わりはしない

そんな風に思いながら、結局は自分がかわいかったのだろうよ




ようやく越えた黒い時代
私はもう16になって、それから少し視力がついた。
耳も聞こえるようになって、それから少し言葉を覚えた。

いつもはぐれて、離れて立って
誰も入ってこないようにしている間に誰も入ろうなんて考えもしないもんだとようやく気づいた。
その間に失った言葉をこの頃ようやく取り戻した。

黒いものに覆われて
それでも淵へと入り込まなかったのは
単に踏みこむ力がなかったから

腕力も知力も何もなく
金すらなくて、道具もない
消えることすらできない無力のせい

そして少しばかり優しくしてもらった記憶のせい



なぜかしら、誰かがそばにいてくれた。
大抵、一時代に一人
どうしてこんな風になれるものかと、それを思って泣いていた。

自分にふさわしいものだろうかと
こんなことをしてもらえる資格などあるのだろうかと
それを思って限りなく泣いた。

この愚かでグロテスクなこどもの身で



優しい人たちは守れるようにと
この人たちを守れるようにと
そのために力が欲しいと思った

無力で愚かで救いようのない
この醜悪なものでも
やさしさだけは願っても得られぬものと存じております

だから神様
どうか力をください
弱いままではやさしくなれない、誰も守れはしないのです

だから神様
どうか私を生かしてください
生きていてはいけないものでも生かしてください

私が力をもてるまで



まだまだ願いはかなっていない
優しくなるには力が足りない
ときに消滅の誘惑があるくらい、わたしは未だに無力なままだ



だからまだまだ生きねばならない
ここにいる意味などいりはしない
優しい人にやさしさを返せるだけの力が欲しい

たくさん、たくさん増えた優しい人に
返せるだけの力が欲しい
無力で愚かな私にくれた、その分だけでも返してあげたい




この身に余るものばかり

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2006年5月23日 (火)

麦は枯れねば種はできず

麦の穂
枯れた穂
種をつけ
土に落ちる
再生のしるし


種を蒔くもの
名は媒介者
無垢で清らな手の中に
断片を持ち空に放つ


わずかに残る遺伝子の
その切れ端が芽吹きたるが
土の甘いと辛いに任せ
果実は甘くも辛くもあると
実を屠るもののいうとおり
ただ匂いは同じだという




どこにでもあるもの
そういうふうにできているもの
全てが芽吹く必要もなく
いくつかいきのこればそれでいい
生まれなければ
ただ埋もれて腐れ消えるか
時期を待って芽吹くだけだ


やがて芽は増殖を繰り返す
数だけが正統
正しいとか
似ているとか
そんなものは関係ないらしい


元の麦の形なんて
誰も知らない



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2006年5月 9日 (火)

一晩で書くには言葉が多すぎる

(はじめに;ライ麦関係はもう昨日のことになってるから)






ああ、サリンジャーのことは書く気なかったのに





今日何気にこっちに寄ったのは、サリンジャーのせいと
彼らのせい
いや、彼らのせいではない
彼らを見る私のせい





もう昨日のことになったけれど、また彼が差し入れをくれたのね
彼って、あの気道閉塞のおじいさん




ひとまずお礼に立ち寄ったら、彼はまた随分と弱弱しくて
骨皮筋臓さんなわけでして




ああ、また痩せちゃってる



放射線を浴び続けるせいなのかなぁ
それとも、入院ってのがいけないのか
それとも、中で何かおきているのか




私の役割はもう終わったのだけれどね
たぶんもうないと思うんだけどね
あったら、すごく悲しいことだしね



今週末でていくらしい。
笑って言う姿はまあ、元気
それって空元気?



・・・いや




まだ大丈夫だな
話しながら私服で来てた私の胸元一瞬みたもんな
視線誘導するような格好はしちゃいないってのに



まあ、元気でよかったですこと





それとだな




もう一人のおじいさんがね
もう88さいでね
火事でやけどして、ひどくてね
なんとかがんばって立て直してみたものの
これがいいことなのか、迷ってね



年がうんぬんはこの際関係ないの
ぴんしゃんしてたわけだから
ただ、体の中に厄介なものをもう背負い込んでる身だって
家族が言うのね





なによりばあちゃんが先にいっちゃってるし、ね





濃いことはしないけどやれることはする
そう言ったけれど





「今頃はばあちゃんと向こうで相談してると思う」





そんな風に言われるとねぇ






何が幸せか
想像しかできんものですよ
その想像が正しいかなんて
本人だってわかりっこないのに
他人に当てることなんてできますかね




・・・とりあえず、本人から聞けるくらいにはしてみますがね



厳しい道のりですが

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2006年5月 8日 (月)

ライ麦は枯れた土地にても繁殖し飢えを満たすものなり

「ライ麦畑」

雑草が小麦をまねた擬態
刈り取られぬように正統種のマネをした
やせた土地でも繁殖する
時に毒
麦角アルカロイドって流産するんだよね




サリンジャーを買ってはみたが、全部読める時間が不安にて
解説だけ読んでみたわけ
その程度で、言葉が脳から噴水吐出
ああ、思い出した
そういう時代のこと




世の中の欺瞞なんて見る目はないけど、魂の穢れには敏感だったわけ
そのわざとらしさのあまりの軽薄で底の浅いことに
よくもわかりやすく恥ずかしげもなくそんな芸当ができるもんかと思っていた時代があったわけ




ただね



「インチキ」とか「欺瞞」とかを汚いもの、蔑むべきものとして見つめる目は正しいのだけれど
それが「インチキ」か「欺瞞」かを見極める目を彼が持っているのかは疑問
それでも彼が「わざわざ」悪になろうとするという感性は理解できる
真心の伴わない薄っぺらでうそ寒い世界に吐き気がして、それと同一化することを拒絶するためには社会に対して反抗するもの=悪である必要がある。
ただし、世の中に善悪があったとして、の話



清らな魂を求めてみても渦巻く巨大な力の前には何もかもが捻じ曲がっていなければ存在することができないと思い込んでいるためか。
「くそったれの巣窟!!」
そこにしか生きる世界がないなら世界はなくていい。
自分もなくていい。
穢れに塗れるくらいなら!





・・・こんな言葉がでてきたってわけですよ




徒然と心に浮かぶまま言葉に乗せたのは、私がまだこれを理解していないからに違いない。
実際読めば感想は変わるのだと思う。
あの解説だけで散漫な言葉が浮かんだのは自分の引き出しにしまっていたものが飛び出たせいだと思う。
ただ、私の場合、彼のように
「子供はイノセンス」
などとは思ってはいなかった。
そこが違う。




いや正しいかも



こどもはイノセンスに悪であり善



そうは思っていた。
彼ほど温かい目など持ってはいなかった。



・・・12才まではね、そう思っていた。





あれで思い出すのは父の言葉



「世の中は白と黒でできてるんじゃない」


実直に働くことを誇りとした駱駝の精神の彼は時に痛いことを言った。
未だ制服も着ない子供が世の中を無謀にも真っ二つにしようと時代に
中卒の彼は真実を言った。


あれから少しして、意味がわかるようになった。
矮小な生の難しさと尊さと、善と悪の境界がマーブルに溶けていることをしるようになった。
世の中単純じゃないとか大人は複雑とか、それが詭弁だと知った。



この世はろくでもないものでできている
そこにたまに埋まっている宝物を見つけられたら素直に喜べるように準備しておけ



それだけが真実だと知った。


真っ二つに分けようとしたこと自体が判断のあやまり。
未熟な魂の、ありがちな落とし穴に、
ありがちを避けようとしたものが見事にはまった、という
ばかばかしい過去




父は真実だけを言う
これが私がもらった最大の恵み
それが私の強み



さあ、サリンジャーを見直そう
過去にであえるかもしれない



・・・それとも、過去にひきずりこまれるか?




いや


もう、そこまで優しくはない

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2006年4月 8日 (土)

少しはお役に立てたでしょうか?

今週初め、気道閉塞寸前だった彼からプレゼントをいただきました。
イチゴ一パック。
いただきもので、たくさんあるのだそうで
私にくれました。


主治医ではないので、そうそう出会う機会もないのですが
覚えていてくれまして
わざわざ外来に持参して、ナースにことづてて置いていったそうです。


気遣い嬉しく思います。
それほど自分が役に立っていたとは思いませんが
それでも、イチゴ、おいしくいただきました。


若干気になるのは、彼が食べているのかということ。
自分が食べられない状態だからくれたのではないかと。
でも、杞憂でした。
翌日お礼に伺いましたら
ちゃんと食べておりました。


「またわけてあげるよ」

声がでないので、筆談で。
そう書いて笑っておりました。


そして今日、手術前にあった子が、お手紙をくれました。
恥ずかしそうな顔をして、私に名前を聞いてきた子です。
やはりナースに言伝て、手紙を置いていきました。


「だいすきです」


開いた手紙にはクレヨンで
そんな言葉が書いてありました。



どうもありがとう。
大したことはしていないのですが。
それでも好いてくれてありがとう。



「またあいたいです」



ありがとう。
そういってくれて嬉しいです。


でもね、


私に会うということは、手術か救急搬送か集中治療を要するってことでもあります。



・・・悲しいですね


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