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2013年8月26日 (月)

緑雨さんといっしょ

Dscf1265 
タチコマトレーディングフィギュアver.2
まだ載ってないコレクションがありました。
8/27大きい写真のほうにしましたよ

******


本日はイノセンスに戻って斉藤緑雨由来のあの台詞をお送りします。

「鳥の血に悲しめども、魚の血に悲しまず、声あるものは幸福也」




発言環境;ガイノイドを制圧したあと、少女を救い出したバトーと素子。ガイノイド暴走の原因は出荷部長がガイノイドに殺人プログラムをダウンロードさせたためであること、それを依頼したのが少女自身であることを彼女が得意げに話しあと、バトーはその行為に怒りを覚えた。
「魂を吹き込まれた人形がどうなるかは考えなかったのか!」
バトーの怒りに困惑し、泣きながら少女は応えた。
「だって私は人形になりたくなかったんだもの!」
少女の声にはっとするバトー。それを慰めるように素子が言った台詞。



この状況は、誘拐されて廃人にされかかった少女が、自分が生き延びるために殺人プログラムを発動させて自身が窮地に陥っていることを知らせ、狙い通りにバトーたちに救出された、というものです。
本来なら怒るところは
「自分が助かるために連続殺人事件起こすって、どういう神経してんだ、おまえ」
というところなはずです。
SOS発動のためとはいえ連続猟奇殺人が起こるのを期待して殺人プログラムをダウンロードさせた少女もかなりイカれてますが、「やりたくもない殺人をやらされてしまう人形の気持ちも考えろ!」とかいうバトーもかなりイカれています。


・・・と、まぁ現代日本ならそうなんですけどもね


ここは攻殻の世界。
人の魂も臓器も軽く安く売り買いされる世界。
血の通う人であろうが魂のあるサイボーグあろうが命と認められない世界。
誰も守ってくれはしない世界。
命が軽い世界。

少女のやったことは自己防衛のためであって、そのために誰かが犠牲になることは彼女にとっては軽いことだったのだと思います。
子供だから残酷なことが平気でできる、っていうのは平和な世界からみた視点だと思う。
大人だろうが子供だろうが自分の魂がじわじわ吸い取られていくのを感じながら、廃人になっていくのを受け入れることができるもんじゃない。
殺人事件が起きることも厭わない、とした少女の行動は異常ですが、そこまで追い込まれていた極限状態であったことも考慮しないといけないな、と思います。
・・・殺人を容認するがぶさんは異常だ!といわれそうですな。あ、すいません。おっしゃるとおりです。


でも裁判になったらきっと「拉致監禁による心神耗弱」「生命の危機にあったことによる正当防衛」「ゴーストダビングによる判断力の欠如」とかいろいろ、いろいろ
情状酌量される要素が少女にはてんこもりですよ。


さて、そんな少女の情状なんて酌量する気もないバトー
彼は圧倒的に「人形の味方」です。
猟奇殺人っつったって、被害者はセクサロイド相手にアヘアヘしてるような異常者ばかり。
ヤクザの組長が殺されようがどうってことない、って感じです。



「オレはあんな変態どもより、純な人形たちのほうが可哀相なんだよ!!!」



・・・バトーの本音はここにありますね。
イノセンス、ってそういう意図ですか、あーそーですか。



バトー自身がサイボーグで「オレも人形と代わらない」と思っている節があります。
ロマンアルバムイノセンスのト書きに
「バトーだって人形にはなりたくなかったでしょうが、そういう生き方しかできなかったのでしょう」
と書いてありますので。





・・・・・・・・・




えー!!!!!
そーだったの?
バトー、自分のこと人形だと思ってたの?


大発見です。
ていうか、今回見直して初めてこの記載みました。
びつくりですよ、全く。


義体であることなんかに疑問も持たずに来たと思ってましたからね。
もう腕にサイコガンくらい入ってるんじゃないか、と思ってましたからね。
GISの素子の懊悩についていけなかった彼が、まさか自分が人形だと、つくりものだと思っているとか・・・・・・


素子の影響で義体=人形って思うようになった、とか無理にでもこじつけないといかんようですね、ここ。
素子を思うあまり自分も義体と人間の狭間で揺れ動くようになった、とか。
SACでも筋トレを外部記憶にして人である自分にしがみついている、とか。
色々納得できるエピソードはあるからねっ。
キャラぶれしてるんじゃない、そうだよねっ。




本題に戻りまして・・・



少女の言葉はバトーには痛手だったようです。
自分は人形になるしか=義体化するしか生きていけなかったのに
「人形に(なんか)なりたくなかったんだものー!」
といわれたせいで。


がぶさんはここんとこ別解釈してました。
「人形になるとは人間を捨てることだ」
と少女に言われてはっとしたのかと思ってました。
バトーが「オレは人形だ」と思ってるなんて思いもしなかったので<しつこい


で、傷ついたバトー。
子供の容赦ない言葉に傷ついたバトー。
そこを見逃さず素子がフォローしたのがあの台詞です。<ここまで長かったねー



あの台詞は斉藤緑雨の半文銭にある一節で全文は以下の通り



刀(とう)を鳥に加えて鳥の血に悲しめども、魚(うお)に加えて魚の血に悲しまず。声あるものは幸福也、叫ぶ者は幸福也、泣き得る者は幸福也、今の所謂詩人は幸福也



意味は


鳥をぶった切って血が出たら哀しくなるくせに、魚をぶった切って血が出てもなんとも思わないんだよな。声が出せる奴ってのは幸せだよ。叫ぶことができるなんてラッキーだよ。泣いて訴えられるのはいいよな。
詩人みたいに好き勝手言える身分ってのも幸せだがな




訴えることのできる者は、そうでない者よりも同情される。
声をだせぬまま、聞いてもらえぬまま、踏みにじられる存在のなんと多いことか。


がぶさん風味で訳すとこんな感じですね。
なんとも微妙な空気の中、引用を用いて素子はバトーを慰めるわけです。
声あるもの=人間
声なきもの=人形
という図式です。
こういう引用は正しい。
イノセンスの中でも数少ない引用の正しい使われ方だと思います。<いや、無駄な引用が多すぎだから、あれ


で、彼女がバトーに言いたかったことをがぶさんが翻訳しましたところ以下のように


訴えることができるものだけが、可哀相なんじゃないわよ
声があれば、意思があれば、人形だって言いたいことは沢山あるのよ。
それができないだけ。
泣いてるこどもだけが理不尽に扱われたわけじゃないわ


「人形たちにも声があれば人間になりたくなかったと叫んだでしょうね」


魂を吹き込まれて、セクサロイドとして生き、殺人をやらされた。
心を持ったまま翻弄された人形もまた哀れである、と素子がいいます。
SACでも見せた弱者の救済精神が垣間見れます。



彼女にしてみれば人形も少女もどちらも哀れである、と映ったのかもしれません。




蛇足1

昔から「うるさい歯車には油が多く注がれる」っていいましてね
うるさく訴えるほど、人から面倒だと思われながらも実入りがいい、っていうんですよね。
だから昨今は訴えすぎる人が増えたのでしょうか?
自分が損をするのはまっぴらだから。
昔はごねたら何かもらえるような優しい日本でしたが、今じゃ訴えてもそれが正当でなければなかなか・・・・・・
そんな日本は少し大人になったように見えます。


蛇足

緑雨の一節にある詩人の部分は
「好き勝手言っても詩人ふぜいはお上から睨まれることはない」って意味で詩人は幸せだな~、といっています。詩人が鳥みたいに同情される存在である、という意味ではないでしょう。

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