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2012年11月11日 (日)

林の中は動物がいっぱい

Motokocoatcool_2

草薙素子クールガール;リペイント3代目
GIGのオープニング風にしてみる

孤独に歩め、悪をなさず、求めるところは少なく
林の中の象のごとく



・・・・・・と、ブッダがいってる、と引用するのは間違いです。
これはイノセンスと引用元の岩波文庫出版;世界名言集の中だけの台詞です。



岩波さんは『ブッダの言葉;スッタニパータ著、中村元翻訳』を出版しており、ブッダの言葉の全容を知っているはずなのですが、世界名言集を作成するにあたり随分とはしょってしまったようなのです。
『ブッダのことば』をもとに”はしょり具合”を報告いたします。



「孤独に歩め」と述べられているくだりは第1「蛇の章」というところの3、「犀の角」に延々と続けられています。
ブッダの言葉の35~75のなかで40の言葉が「ただ独り歩め」と締めくくられ、1つだけが「共に歩め」と締められています。
共に歩むことを許しているのは、賢明で協働し行儀正しい明敏な同伴者に対してだけです。


ブッダが歩むときは「犀の角のように」であり、これは「聖おにいさん」のひとコマでもブッダがタイムセールのためスーパーに向かうときに用いられています。
静かに着実に歩まないと、少しでも急いでいる様子を見せると、どこからともなく鹿たちが現れて「私に乗ってください」というかのようにじっ・・・とみつめるからです。



すいません、横道それました


本題に戻ります。
犀の角のように、の意味は「犀の角が一つしかないように独りで歩め」ということだそうです。以前「珍しいもの」といいましたがそこ、訂正します。
中国に渡ったころは仏教文学で麒麟の角と訳されているようです。
大昔、中国大陸には犀がいなかったからでしょうか。




麟角喩独覚:麒麟の角のように孤独に歩め




大昔は象じゃなくてキリンだったみたいですよ
サイ、キリン、象、ってなんだか幼稚園の動物園遠足みたいですな、和みます。




さて、岩波がなにゆえ象だけをはしょりに使ったのか。
象の出てくる箇所をもう一度見直します。





『肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群れを離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただひとり歩め』




この部分の解説はマハーバーラタにも同様のことが言われているとしたうえで
「敬礼をもなすことなく、禍福をともに捨てて、何でも得たもので生き森の中をただ独り歩め」
仲間がいると煩わしい、いつも邪魔される怖れがある、ということだそうです。
自分の好きなように生きるには、仲間とか家族とか捨てろ、ということですね。
ついでに金も家も名誉も。
仲間すら捨てるのだから欲なんか、もってのほかです。
好きに生きたければ何もかも、守るべきものも守ってくれるものも捨てなければならないということです。法律の下の加護も捨てるということなので、傷つけられたり損をしても文句は言えないということだと思います。





サイ、キリン、象。
これら遠足チックな動物たち以外にも、ブッダのことばには多くの生き物たちが登場します。




水の中の魚が網を破るように~ただ独り歩め
音声に驚かない獅子のように~ただ独り歩め
水に汚されない蓮のように~ただ独り歩め
筍が他にまつわりつくことがないように~ただ独り歩め




と、羅列してみれば、岩波がはしょるにあたり、象を選んだのもなんとなく気持ちがわかる。






「孤独に歩め、悪をなさず、もとめるところは少なく、林の中のタケノコのごとく」






と、言われたらかっこ悪いからだろう。





とりあえず、林の中の象~とかいうのはイノセンス作中の台詞っていう位置づけで、ブッダのことばという注釈はつけないほうがいいと思われます。

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