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2012年10月 8日 (月)

むしろ「ついて来い」って命令形なんですが

Motokodiveblack_2

本館においてあったやつ

よくも、こんなもの作ってたもんだ・・・・・・

さて、イノセンス見たからにはあれをおいて置けませんな。
バトーへの唯一の優しさ?
素子の去り際の一言です。





「忘れないでバトー、貴方がネットにアクセスする時、私は必ず貴方の傍にいる」





素子さんがなにゆえ、こんな言葉をかけたのか。
おそらく彼女は「均一なるマトリクスの向こうへ」行ってしまった後もバトーを気にかけていたのだと思われます。
自分とは関係ない、と思っていればそもそもバトーを助けに来たりはしないはずなのです。
バトーが自分を探し追い求める姿を、おそらく彼女は見ていたはずで、それをもうやめろ、と言うことだと思います。
素子を求めて黄昏てるバトーに、ようやく声をかける気になったのですね。
自分は「ここ」にいる、と。
おじさんの心がそれで満足すればいいんですけどもWW


この言葉は、「林の中の象」に象徴される「孤独に歩め」と対極になる言葉です。
孤独ではない、いつでもあいつがいる
そういう感じ?
孤独に歩め、といいながら「必ず貴方の傍にいる」と返すわけです。
これはおそらく、仏陀のいう「犀の角のように孤独に歩め」に続く
「もし、汝が<賢明で共同し行儀正しい明敏な同伴者を>得たならば、あらゆる危難に打ち勝ち、心喜び、気を落ち着かせて彼と共に歩め」に繋がると思われます。


仏陀ですら「同伴者」を許したのですから、素子さんが許さないいわれはないでしょう。
いや、そもそも、誰が素子さんは「一人であっちの世界にいった」って言いました?
誰も言ってないのですよね。
孤独が~どーたら
象が~どーたら
そもそも仏陀は「林の中の象のように、孤独に歩め」なんぞ言ってない。
犀の角のように歩め、と言ったんだ。
象を持ち出したのは岩波書店であって、お釈迦さまではない!




・・・おや、また横道に
岩波書店とそれを鵜呑みにした監督のことはこのさいおいておこう





「私は必ず貴方の傍にいる」




とは、「傍にいるから安心してね」と言う意味以上を含むのではないか、と思ったのが今回イノセンスを見直して気づいた点。
エンディングを見直したら、あの「follow me」が歌詞を字幕で付けてくれてるのだが、そこが意味深長なのだ。



私と一緒にきて下さい。輝く海を越えてあの国へ
私たちが見知った世界をはるかに超えたところで
夢の世界より遥か彼方で
これまでに味わったどんな喜びより遥か彼方で待っているのです
私と一緒にきて下さい。愛するものにしか見えないこの道を
楽しい夜の年月の彼方に
涙を、そして私たちが無駄にした年月を超えて
光の中へと続いている道です

私と一緒にきて下さい。この山の奥の彼方の国へ
いつも心に抱いていた音楽の全てが空を満たしています
沈黙の歪みの中で歌えば心は開放されます
そうしている間にも世界は回り続け そして落ちて行きます
私と一緒にきてください。
私と一緒にきてください。



そしてずっと「私と一緒にきてください」が続く
ちょっと、しつこいよ、そこ・・・・・・



で、しつこいばかりの「follow me」を聞きつつ思ったわけだ。
これが彼女の思いなのだとしたら、あの台詞の「いつでも貴方の傍にいる」は
バトーに一緒にきてほしい、ってことなんじゃないかと。
「孤独に歩め」には「賢明な同伴者」が付随するのだ。
岩波に騙されて皆、孤独に歩むことばかり考えているが、お釈迦様ですらそんなことは言ってない。
同伴者として、彼女はバトーを求めている。
必ず傍にいる、は自分を追うバトーの痛々しさに耐えかねて優しくしたのだろうと思っていたが、彼女自身の希望が入っているのだ。



「いつでもこっちに来なさい」



それでも、バトーが均一なるマトリクスの向こうに行くとは思えません。
彼は素子と違い、この世界に迷いがないから行く必要がないのです。
彼らは永遠にあちらとこちらに存在し続けるでしょう。
もしかしたらバトーの脳郭が有機体として寿命を迎えるころ、彼女は彼を迎えにくるかもしれません。
それまでは。



GISは懊悩からの離脱を目指す求道者の話
イノセンスは懊悩から解脱したものが同伴者を求める話
SACは声なき弱者を救済するものの話
と、判断しました。



とりあえずイノセンス感想第2弾終了






「・・・ところでGIGは?」
「・・・あれは、上部構造とやらを神山風味にしようとしてメロドラマに成り下がった話」


がぶさんは、GIGについては多くを語りたくありません。







追記2012.10.09
3度イノセンス見直して思った。
ガイノイド制圧後の船内、「幸せか?」「懐かしい価値観ね」の後のシーン。



”孤独に歩め・・・”と素子が言った後に”林の中の・・・象のごとく”とバトーが返すんだ。
しかし、その後に”必ず貴方の傍に・・・”といってる。
この場合、バトーが主人公で素子が<賢明な同伴者>とするのが文脈からいって正しい。
バトーは素子が”孤独に歩む”と思って=自分は置いてけぼりか?と苦い顔しているが、実はそうではない。
彼女は”バトーが自分に寄り添う”ことは望んでないが”自分がバトーに寄り添う”ことはウェルカムなんだ。
あー、そー。
女のつっかえ棒になりたいけどもたれてくれなくて拗ねてる男と、男に支えられるでなく、むしろ支える側にいたい女の構図かー。
悟った割には昔と変わらないんだな、素子。
男心を立ててやれば・・・・・・あ、そんな義理はないですか。そーですか。

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