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2012年10月11日 (木)

花か月か

Tachikomamegahousegrenade

タチコマメガハウス第2弾:タチコマグレネードSACバージョン
upしてなかった模様です。
このシリーズのシークレットはブラックとバルカンで、この子はスタンダードバージョンです。

では本日もまたイノセンス用語を考える会、始めます。






”生死去来 棚頭傀儡 一線断時 落々磊々”






イノセンスで最も奇怪なこの言葉を考えてみましょう。




①読み方


せいしのきょらいするところ,ほうとうのかいらいたり,いっせんたゆるとき,らくらくらいらい



トグサはそのように読みましたが紙媒体の文献でみると読み方は少々異なる。
日経キャラクターズ創刊号によれば、この四行詩の出典は世阿弥の「花鏡」だそうで、タチバナ教養文庫版の風姿花伝・花鏡によれば読み方は以下のとおり。



しょうじこらい ほうとうのかいらい いっせんたゆるとき らくらくらいらい




ま、読み方はこの際どうでもいいな





②意味


[生死去来 棚頭傀儡 一線断時 落々磊々]
これは、”生死に輪廻する人間の有様をたとへなり”
”棚の上の作り物の傀儡(あやつり)、種々(いろいろ)に身ゆれども、真(まこと)には動く物にあらず。操りたる糸の態(わざ)なり”
”この糸切れん時は落ち崩れなんとの心なり”

(花鏡)


”生死を繰り返す人間のありさまを例えたものである。
棚に載ったからくり人形は、多種多様に動いているように見えるが、実際に動いているわけではなく、人形を操る糸の動きによるものだ。糸が切れたときはガラガラと崩れてしまうものだ、という意味である”(がぶさん訳)



実はこの詩は花鏡が初見ではなく、世阿弥が月菴宗光の偈文(げもん)から引用したものだそうだ。月菴和尚法語の示宗三禅閣にあるらしい。
(ソース;タチバナ教養文庫版の風姿花伝・花鏡)



行住座臥、一切作用の時、忘るる事なく、怠る事なく、急急に眼を付けて、能能極めて見よ~生死去来 棚頭傀儡 一線断時 落々磊々



ということのようです。
訳文は書いてませんが、いい加減ながぶさん訳では


”お勤めのときも、修行以外の日常生活でも、座り、寝る いかなることを行うとしてもその動作のときに、だ。
忘れずに、怠らずに、切実に気をつけ、よくよく見極めよ。
生き死にを繰り返し解脱できない人間は操り人形のようなもので、その糸がぷつり、と切れたときには全てガラガラと崩れおち何もかも台無しだ”


とかいう意味かと思う。
雰囲気だけ味わってください。
そのまま飲み込むんだら犬の味がしますよ?




更に細かく分解
”急”というのは、”急ぐ”と言う意味でなく切迫した、という意味のようです。
”緩”と反対の言葉ということですかね。
”雑談集”とかいうところに和尚、戒緩乗急という文があるらしいですがめんどくさいのでそれは載せません。



で、全部を意訳すると以下のとおり(がぶさん風味)



「わしな、戒律には結構緩々やったけども、仏法については生真面目に考えてたんや。(緩急)。せやのに、いつの間にか座禅もよー組まんし、だらしなーくなってもーて、グダグダになってしもーて、いかんわー、これいかん。
てなことで、みなさんは寝ても覚めても便所でも、キチンとしてなあきまへん。よーくよく考えてな。いつなんどきも気ぃ抜いたらあきまへんえ。輪廻から抜け出せん人間とかいう輩は思い通りに動いている気でいても実は山車の上のからくりと同じで、実に危ういものなんや。糸が切れればガラガラ崩れて台無しになってしまうもんなんやでー」



和尚なので悟りの道の心得というか、修行のときの気をつける点、とかいうものを言ってるのね。細い糸でつながれてるだけの命はいつ崩れ去ってもおかしくない。
命短し、励めよ、青年。
いつでも真剣に悟りを開く努力しなさいね、と。
目指せ、涅槃!ニルヴァーナ!
という気合が感じられます。




で、それを世阿弥が”能”の極意として、自分の心を糸に例えたのが花鏡、というわけだ。



生死去来 棚頭傀儡 一線断時 落々磊々って言葉がある。
このカラクリと同様、能も作り物だ。
その糸は自分の心だ。
心を見せてはならない。
なぜならば舞手の意図を匂わせるような真似をすれば、操り糸を見せるようなものだ。
舞台は台無しになる
他人に気づかれないようにして色々な糸=芸を身につけるのだ。
万能綰一心事(まんのうをいっしんにつなぐこと)



よくよくみれば世阿弥さんの言いたいことは”傀儡(からくり)”でなく”糸”の部分なのだ、ということがはっきりしました。
イノセンスの出典としては”操り傀儡(にんぎょう)”に重点を置いた和尚のほうがしっくりきますな。








蛇足

棚頭について
世阿弥は間違って「棚の上の頭」と訳したとタチバナ文庫が書いてます。
和尚の書いた「棚」は棚車=山車のことだそうな。
「棚頭」=車の上に載ってる人形のことだろ、と推察
お~、択捉祭りじゃないか~(意外とつながってて感心)


蛇足2
世阿弥は四行詩の部分だけでなく「行住座臥」の部分も花鏡に引用していました。
”即座に限るべからず。日日夜夜、行住座臥にこの心を忘れずして定心に綰ぐべし”
ですってよ。
引用元は書いたほうがいいのではないですか?世阿弥さん。



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