シーザーを理解するためにシーザーである必要はない
また、ここが攻殻部屋であることを思い出しました。
画像はGISですが今回は犬センスから、あの台詞について検討してみましょう。
”シーザーを理解するためにシーザーである必要はない”
マックス・ウェーバー”理解社会学のカテゴリー”より、だそうです。
手持ちの”世界名言集(岩波書店)”にもそのように出ています。
犬センスでは荒巻課長が口にしました。
”でなければあらゆる歴史記述は無意味となるだろう”
と、続きます。
理解は経験ではなく、論理により可能だという意味のようです。
こう言えるのはかなり冷静なほうで、理解を要求される側の意見です。
課長なら確かにそういう。
「同じ目にあわないとわからない」
そう言うのは理解を求める側のほう。
同じ経験をもったものならば共感するはずだと、救いをもとめがちです。
同時に、理解しようとする側も同じ経験をもっているから理解できると思いがちです。
しかし、経験で理解や共感が得られるなんて本当に思っていいのでしょうか?
他人の経験はあくまで他人のもの。
似たような経験だろうが同じ経験だろうが、それはまったく異なるものです。
それで理解したと思われることは私でしたら実に不愉快。
それで理解したと思うことも危険で傲慢だと思うので決してやりません。
”私の記憶は私だけのもの”
同様に彼、彼女の記憶も彼、彼女だけのものです。
決して共感などできはしない。
似て見えても全く異なるもの。
万が一同じものでも、それが同じ表現型で現れる可能性はごくわずかです。
記憶が種ならば、蒔かれる土壌の違いで芽は異なると思いませんか?
経験で理解を深めることはできないし、理解したと思ってその後理解する努力を怠ることは結局理解から遠のくだけ。
論理で理解は可能。
これは経験を無視するのではなく、休まず理解し続けろということなのではないでしょうか?
歩み寄れ。
一歩ずつ。
そこに入れなくとも近づくことはできる。
共有=理解、補完、充足
これを否定しているわけで、一見冷たくて無機質な台詞ですが実のところ最も人間味に溢れる台詞だと思いました。
個が個を完全に理解することなどできはしない。
だから、近づく努力をするのだよ。
ってことですかね
”おまえのことはわかってる”
こう言われるのに腹を立てる人間だから、なおさら好きなのかもしれません。
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コメント
分かりたいと思う気持ち。
それが何より大切なのだと
ウェーバーは言いたかったのか。
なんかあったかいヤツだな
ウェーバーさんは。
投稿: Am7 | 2008年8月15日 (金) 12時34分
Am7さま
お初にお目にかかります。
コメントありがとうございました。
ていうか、
「1年3ヶ月もあとから返事もらったって
どうしろってんだこのヤロー!」ってな気持ちかもしれませんですね。
あぁ、すいません。
がぶさん、ネットのこちらがわに消えてました。
また消える前にお返事だけでも<いそいそ
>分かりたいと思う気持ち。
>それが何より大切なのだと
>ウェーバーは言いたかったのか。
理論は経験に勝る、ってのが彼の持論みたいです。
そういうと、冷たい・・・かもね?
しかし、経験しなければ理解できない、っていう経験至上主義に異議を唱えた彼は、少し壁をぶっ壊したような気がします。
理解する、道をつくる
彼にとってそれが理論であったということで
我々の場合は、想像力や五感で覚える微妙な変化への気づき、ということになるのではないでしょうか?
投稿: がぶ | 2009年11月10日 (火) 22時48分